Around The World in 1925
Since1925
2008年 京都古書市で見つけた87年前のアルバム
大事な記憶を捨てる人がいるんや・・と思ってよく見ると
大正14年当時のアルバムで、明らかに私と同じような
仕事をされている方が残した記録でした。
彼は大阪の住吉に住んでいた方で、
某百貨店の装飾部に在籍されていました。
35年ぐらい前の百貨店の装飾部には、絵描きさんや、彫刻家
(それも本格的な)などをされている人が沢山 在籍されていました。
赤いベレー帽を冠って図面やイラストを描いてる姿を時々思い出します。
”絵の描けないデザイナーなんて・・辞めたら”
なんて事を 新人達に平気で言うので、”この野郎”
なんて良く反発してました。
昔話はさておき、このアルバムは
A4サイズの幅広で、厚みが7センチあります。
納められた絵はがきの数は
426枚
とてもマトメテ御見せできませんので、
時系列で当時の建築的な物を国ごとに御見せする事にします。
まずは神戸から
1925年大正14年当時には
日本郵船が横浜・ロンドン間の海外航路を就航していました。
寄港先は、
横浜〜(1日)神戸〜(4日)上海〜(4日)香港・
香港〜(6日)シンガポール・ペナン〜(5日)コロンボ・アデン
コロンボ・アデン〜(11日)スエズ〜(1日)ポートサイド〜(5日)・
ナポリ〜(2日)マルセイユ〜(3日)ジブラルタル〜(4日)ロンドン
間を片道 約50日で2週間に一度の就航でした。
ハガキの船は全て
日本郵船 ”榛名丸”
Since 1922 大正11年建造
10.421 G/T
(他に”箱根丸” ”照国丸”なども同じ航路に就航していました。)
当時は神戸の神港第四突堤 (現在は第一突堤)からの出航で
神戸栄町に父親の会社が在った白州次郎氏などもこの桟橋から
ロンドンへ旅に出たようです。
次回は
支那(中国)です
Since1925
2008年 京都古書市で見つけた87年前のアルバム
大事な記憶を捨てる人がいるんや・・と思ってよく見ると
大正14年当時のアルバムで、明らかに私と同じような
仕事をされている方が残した記録でした。
彼は大阪の住吉に住んでいた方で、
某百貨店の装飾部に在籍されていました。
35年ぐらい前の百貨店の装飾部には、絵描きさんや、彫刻家
(それも本格的な)などをされている人が沢山 在籍されていました。
赤いベレー帽を冠って図面やイラストを描いてる姿を時々思い出します。
”絵の描けないデザイナーなんて・・辞めたら”
なんて事を 新人達に平気で言うので、”この野郎”
なんて良く反発してました。
昔話はさておき、このアルバムは
A4サイズの幅広で、厚みが7センチあります。
納められた絵はがきの数は
426枚
とてもマトメテ御見せできませんので、
時系列で当時の建築的な物を国ごとに御見せする事にします。
まずは神戸から
1925年大正14年当時には
日本郵船が横浜・ロンドン間の海外航路を就航していました。
寄港先は、
横浜〜(1日)神戸〜(4日)上海〜(4日)香港・
香港〜(6日)シンガポール・ペナン〜(5日)コロンボ・アデン
コロンボ・アデン〜(11日)スエズ〜(1日)ポートサイド〜(5日)・
ナポリ〜(2日)マルセイユ〜(3日)ジブラルタル〜(4日)ロンドン
間を片道 約50日で2週間に一度の就航でした。
ハガキの船は全て
日本郵船 ”榛名丸”
Since 1922 大正11年建造
10.421 G/T
(他に”箱根丸” ”照国丸”なども同じ航路に就航していました。)
当時は神戸の神港第四突堤 (現在は第一突堤)からの出航で
神戸栄町に父親の会社が在った白州次郎氏などもこの桟橋から
ロンドンへ旅に出たようです。
次回は
支那(中国)です
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