2011年6月20日月曜日

NEW YORK PIER 1981

ニューヨーク桟橋 1981

ジョンレノンが1980年に亡くなった翌年、ダコダハウスが見たくてニューヨークに
友人と出掛けました。その時にリバークルーズの船で眺めた
ハドソン川畔に沢山在った桟橋。30年前の姿とかなり現在は変わってます。
グーグルマップで見るとかなりの桟橋が無くなっています。
最近の観光ガイドブックでも表記されていないので、
余り感心が無いのでしょう。
当時の街は薄茶色のイメージがあって、この桟橋群にも表れています。

Pier94
で木造のタグボートが展示して在りましたが、現在は無い様です。

Pier54
は現在保存企画が在るようですが、確認してません。

Pier56
は現存しません。

Pier57
はリニューアルされて利用されてる様です。金属の外壁が周りの桟橋と
異質で航空機会社のイメージで作られた様です。
資料が無いので建造年が判らないのが残念ですが
金属の建物と言えばクライスラービルも在ります。

金属でこんな格好は他にも在ります。ダイナーと呼ばれる街角に在る食堂です。
何となく似ている気がします。

Pier58
は現存してませんが、54、56、と同じ形状なので
同時期の物かも知れません。





番号が判らないのですが、二棟とも外観が良く似ているので近くに在ったのかも
知れません。なにせ、三十年も前の事なので覚えていません。
しかも、当時はデジタルカメラなんぞも在りませんでしたので、
”ワンテンカメラ”、フイルムサイズが小さいので残念ながら
画像も良く在りません。本当に残念です。

 背景のビルも沢山取り壊されている様です。
スクラップ&ビルドのニューヨーク
なので仕方が無いのかも知れません。

 こんなヌーディスト桟橋もありました。
この桟橋の前を通る時には船が距離を少しとった事を思い出します。
さすが、ニューヨークと感心する事しきりでした。

 結構形の違う桟橋が在ったのですが、50番第の形が歴史が在る様です。
当時の写真を見ると、桟橋に大きな客船が停泊しているのがあります。

ここがニューヨークの玄関だったのです。
バッテリーパークには観光用の保存された桟橋が在るので、
お出かけの際は覗いてみて下さい。

 全ての桟橋が無くなった訳ではなく、保存されたり、公園になったり、
駐車場になったり様々です。ただ建築物はほぼ無くなってしまいました。
利用価値が無くなっていないこのフェリーゲートは現役で現存しています。

又30年前のニューヨーク特集をしてみたいと思いますので、ヨロシク!

Bonus Monochrome Sketch





2011年6月15日水曜日

神戸川西倉庫

川西倉庫が解体されました!


新開地出店の折、お客さんからの情報で知りましたので今日確認に行きました。

残念ながら事実でした。

神戸第一突堤に在った川西倉庫冷蔵庫

1925年 大正14年に渡辺節建築事務所設計・施工 大林組

当時は引き込み線が在りその影響で壁が曲面になっていました。


上の地図は1986年頃の物で一突にあった引き込み線が無くなってますが、二突、三突にはまだ残っています。HAT神戸あたりにもまだ残っていました。


近くに現存する住友や三菱の倉庫も同時期の建築です。


地図を見ていると震災後の神戸も少しづつ変化しています。
頑張ってもっと描かないと・・・・なんて・ネ。

P.S
引き込み線が撤去されましたが、阪神 春日野道からJR灘駅近くまでが遊歩道
になっています。少し高くなった道からの眺めも楽しめますのでお試しを!




2011年6月8日水曜日

スケッチの描き方3

京都大学吉田寮


1913 大正2年築で一時は取り壊しの憂き目に遭う所を何とか残ってます。今回は建物より”木””影”がポイントの絵です。    

木や影、それとこのくらいの建物にはパースは余り関係がないので見たままで下書きをします。自転車が多すぎるので適当に省きます。

道具は前々回を参考にして下さい。






行き也、白黒画ですが、自転車の数と置き方の参考にして下さい。

構図は写真のまんまなので墨の濃さに注意して下さい。
屋根を先に薄く墨を塗り、濃い影をのせます。

ここで注意する点は影は手前を濃くして、離れた所は薄くする事で遠近感が出ます。

彩色にもこの方法は有効です。









白黒の段階でほぼ絵になっているので、色付けはあっさり手早く済ませましょう。

屋根等の墨の色が単調だと思えば、少しコバルト系の青、それか紫系の色を薄くのせて見て下さい。

空を塗る時は出来るだけ木を塗らないように注意して!










パソコンで取り込んで薄いクリーム系のはがきにプリントするとこんな感じになります。

白いインクジェット用紙だと上の絵の感じでプリントされますから、お好みで選んで下さい。

周りがぼやけているのは、フォトショップのソフトでデータ保存する時に ”周りをぼかす” 機能を使っています。


左側に吉田食堂が在るのですが、倉庫のようで、とても食事を作っている様には見えません。学生自治管理なのでしかたがないかも知れませんが・・・・。


この絵は寮の裏側ですが、何十年もこのままの姿が残る事が出来る様に祈ります。


今回は建物より木や点景が主体の絵になりましたが、特徴さえ掴めば自然の物の方が楽です。


次回をお楽しみに。

2011年6月7日火曜日

鉄1


スケッチ用の写真を撮りに行くと、役目を終えた鉄の残骸、錆びたて朽ちて放置された鉄の固まりに出会います。何故こんな物にこだわってしまうのか分かりませんが、色々と想像するのが楽しみな物達です。
 





写真は有馬のミュージアムで見たブリキのおもちゃのプレス機。バルタン星人に見えました。このミュージアムにはまだ沢山のこのような器機が残っていますので興味のある人は見て下さい。個人的にとても欲しい物です。置く所が在ればの話ですがネ!。










大阪尻無川岸に在る荷揚げ用のクレーン。川岸にはこのようなクレーンが結構残っています。絵にするには難しいのですが一度挑戦してみたいと思っています。












タイガー計算機の底部とカバーを外した内部。この細かな細部の精度には感心させられるのと同時に考えた人の情熱を感じます。























神戸ドックの錆びた鎖と壁。巨大な浮きドックですが、用途を終えた永い時間と寂しさを感じます。この場所で働いていた人達には、どんな記憶が残っているのでしょう。














JR架線器具。機能から出来上がったフォルムの面白さに感じるモノがあります。この他に、ポイントの切り替え機や、列車の連結器なども中々面白い形をしていますので見て下さい、
興味があればですが。







大正区は土地が海面より低いので災害連絡用の鉄塔かな?等と想像しながらアレコレ見て回ります。この近くの水門は回転式の変わった形をした水門です。それとまだ渡し船が残っ ていますので
利用してみて下さい。無料です。












 川口町の謎のプレス機?。近くに在った町工場で使っていたも のだと思うのですが、何を作っていたのかは判りません。これ を使っていた職人さんにはさぞ思い入れのある機械なのでしょ うが、今は唯のくず鉄でしかありません。でも、この存在感に は何か引かれます。スティーブマックウィーンのコレクションに古い朽ちたトラクターや農機具が在るのは似た気持ちかも知れません。



”人は記憶によって支えられている”と、作家のイシグロ・カズオも言っています。私もその通りだと思っています。私の描く絵には、私も含めてそんな人の想いを残したい気持ちで描いています。