巡洋戦艦
Battleship HARUNA
Battleship HARUNA
榛名
に乗った男の従軍手帳
(前甲板四番砲塔横右舷 榛名十四分隊)
終戦記念日も近いし、こんな人もいた・・と 言う事で!
彼は大正9年7月生まれで のんびりとした所から
昭和16年 21才の時に佐世保海兵団に入りました。
そして、その年から 軍艦榛名に乗船したのです。
彼は余り戦争の悲惨話はしませんでした が
ミッドウエイ海戦の話は別でした。
ご存知の様に日本海軍はこの闘いで航空母艦を全て失うのですが
船から飛び立った飛行機が帰る場所を失い、翼を振って戦友に挨拶をして
ポトリ ポトリと海に落ちていったそうです。
海面は火薬と重油まみれで、海に浮かんでいる兵隊を助けようにも
自船が爆弾の攻撃を受けて、全速ジグザグ航行している中、
逃げるので精一杯だったそうです。
(榛名後甲板二番砲塔下・昭和17年 トラック島ニテ)
榛名は運のとても良い船で、終戦まで残りました。
彼は最後まで船と共には乗船できなかったのですが、それは、彼が
飛行機の整備兵だったからです。昭和19年1月には もう船に飛行機を載せる
余裕も無かったそうです。
その後何カ所かの航空隊に所属して
20年8月23日に退隊しました。
何時も思うのですが、これが彼 彼等の激動の青春だったのです。
写真に写っている仲間も彼同様に鬼籍に入られている方も居られると思いますが
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